28Oct
ロシアのウクライナ侵攻がきっかけで平和について深く考え始めた子どもたち。
その為、「久しぶりに少し遠出をしようか」というはなしをした際に、足を運びたいと行ってきた場所はなんと「広島」でした。
今回は我が家なりの、広島市内での過ごし中心にご紹介します。
「平和記念公園」「広島平和記念資料館」「原爆死亡者慰霊碑」「原爆の子の像」「原爆ドーム」「おりづるタワー」などの情報を盛り込みました。
まずは「平和記念公園」へ!
真っ先に行きたいといっていたのが、「原爆ドーム」だった為、
まずは「平和記念公園」にむかいました。
(【平和記念公園 HP】https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/hiroshima-park/7480.html)
広島では路面電車が本格的に今でも動いている為、それを利用して広島駅からむかいました。
路面電車に乗りながら広島の今の栄えている街の風景をじっくりみていきました。
とてもきれいな街で、東京都は違う大きな道路、大きな歩道、商業施設などが印象的でした。
到着後、「平和記念公園」に入っていきました。
きれいに整備された公園で大きな噴水が出迎えてくれました。
「広島平和記念資料館」で歴史を振り返る!

「平和記念公園」の中でまず立ち寄ったのは「広島平和記念資料館」でした。
(【広島平和記念資料館 HP】https://hpmmuseum.jp/)
有名な丹下健三(たんげ けんぞう)氏による設計の建物です。
フジテレビや東京都庁などの設計も手掛けた方ですね。
「広島平和記念資料館」は戦後に入ってはじめて、戦後建築物として国の重要文化財に指定された建物なのだそうです。
建築物好きな方ですとさらにじっくり楽しめるスポットです。
そして館内は「1945年(昭和20年)8/6 8:15」と書かれたコーナーからはじまりました。
そう、広島に原子爆弾が投下さた日時ですね。
やや薄暗いコーナーには、先程通ってきた広島駅からの地図が大きく展示されていました。
原爆投下によって影響を受けたことがわかる模型になっていました。
当時、市内には約35万人の人々が生活していたそうです。
登校途中に亡くなった子どももいれば、家族を失いひとりぼっちなった原爆孤児とよばれる子どもたちも多数いたそうです。
被爆による放射線被害を受けた人たち、白血病などの後しょうがいをおってしまった方々も多くいたそうです。
そういった方々のことがわかるパネルや衣服など、被爆したものの展示なども行われていました。
核爆発に関する展示コーナーもありました。
「リトル・ボーイ」とよばれる長さ3m・重さ4トンの原子爆弾が広島に投下されましたが、その縮小模型も展示されていました。
9600mの高さから投下されて、地上600mの上空である、病院の上あたりで爆発したそうです。
戦争の恐ろしさを感じ取ることができました。
ちなみに、現在の平和祈念公園周辺は、当時たくさんの人が住んでいて、映画館や旅館があるにぎやかな街だったそうです。
広島市は日本の軍隊の重要な役割を持つ都市の1つでもあったとのことで、京都・横浜・小倉と共に原爆投下の街の案としてあがっていたそうです。
一番被害が多い街であるということから最終的に広島に原爆が投下されてしまったようです。
「原爆死亡者慰霊碑」にも。
